last updated 1997/06/11
第27話(全130話)
ピートはマスター
6 ピートはマスター
ピートはまだ自分の置かれた状況をまるでわかっていなかった。だからフワフワ宙を漂うよ
うにしてでも、遥か地平に霞む城まで行くことができる、なんて考えたのだ。
だがそれは間違いだ。
本当を知らないのだから、間違い、というよりも無知のなせる業、といったほうがいいかも
しれない。
彼は自分でどう思っているにせよ、決して「夢を見ている」わけじゃない。ピートが自分は
川から落ちて、川のクッションに助けられ、いまは川岸にノビてしまっているだけなんだ、そ
して気絶しながら奇妙な夢を見てるんだ、と思い込もうとしているのは、言ってみれば「現実
逃避的な願望」にすぎない。そうであって欲しいと思うから、そうなんだと無理に自分を納得
させているだけだ。
もっともそれをピートの心の弱さとなじることはできない。彼の放り込まれた現実は、「こ
れは夢なんだ」と自分に信じ込ませようとすること以上に、遥かに「現実」から「逃避」した
出来事だったのだから。
少年の、ごく限られた狭い知識で想像する範囲を遥かに超越した出来事の中に、ピートはい
た。
ピートはいま地球という太陽系の惑星の外にいた。
彼の育ち、慣れ親しんだ世界は、幾千もの星々の彼方に遠去かっていた。
彼はいま、テオとこの星の住民たちが呼んでいる世界に放り込まれていた。
テオ。
それはマリイアの書いた物語に登場する架空の世界だと、ピートは思うかもしれない。そし
て、やはりぼくは夢を見ていて、その朝に読んだばかりの、母の原稿の中にあった想像の世界
に入り込んだんだ、と納得するかもしれない。
それ以外にこの異常事態をきちんと受け入れることはできないだろう。
しかし、たとえピートにはそう考えるよりほかに納得のしようがなかったとしても、やはり
間違いは間違いだ。
ピートはこの宇宙には人知の及ばぬ魔法が隠されていると、常々本気で思っていた。童話作
家の母がいつもそう言い聞かせていたからだ。そしてそんなマリイアの言葉は嘘でも誇張でも
ない。真実、宇宙には魔法が存在している。
その魔法と触れ合いたいと願うマリイアの心が、物理の法則がまだ発見していない空間と空
間をつなげるパイプを通して、この、地球から遠く隔たった世界とつながったのだった。マリ
イア自身もそれに気が付いていないかもしれない。自分はインスピレーションを得て、テオと
いう世界を創造したのだと、彼女はそう思っているだろう。けれど、そういうインスピレーシ
ョンこそが「魔法」だった。その時、彼女の心は時空を越えたテオまで飛び、その光景をマリ
イアの脳裏に鮮やかに刻み込ませたのだ。
芸術家はその純粋な魂のエネルギーで、時として世界と別の世界との境界線を越えてしまう
。それを「神の啓示」と呼ぶものもいれば、ただ「インスピレーションを得た」と感じるだけ
の人もいる。けれど実際は、マリイアの場合がそうであるように、本当の美を求め、永遠の真
実をつかみたいと欲する心が、世界と世界の壁を瞬間だけ取り払ってしまっているのだ。
マリイアがインスピレーションを得て、童話として綴った世界は、本当に実在していた。
テオは実在していた。
母にテオを垣間見せた宇宙の魔法は、いまマリイアの息子ピートを、そのままテオまで連れ
てきたのだった。
何故?
その問いにはピートが自分で答えなければならない。おそらくピートがこの地で経験するこ
と、そして思うことのすべてが、魔法の企み、を解明する答えとなるだろう。マリイアにイン
スピレーションを与えた魔法は、ピートをこの地へと直接導くことで、物語に結末を与えよう
としているのかもしれない。あるいはただ単に、宇宙のカオスが気紛れに起こした、無意味な
突発現象にすぎないのかもしれない。しかしたとえば波が砂山を崩すことにさえ、人知の及ば
ぬ意味があり、それがひいては世界の運命すら変える力を持つこともまた事実だ。宇宙の行い
にはいかなる偶然も無意味な行いもないと、宇宙はそう豪語するかもしれないが。
とにかくピートは宇宙の謎めいた計らいによって、このテオという星に送り込まれ、マスタ
ーとこの地では呼ばれていたロボットと合体していた。
両者を結び付けたのは宇宙の魔法のひとつで「共時性」というものだった。
別々の個体がひとつの同じバイブレーションを共有し、お互いがお互いを引き寄せ合う。そ
んなシンクロニテイーがピートとマスターを一体化させた。
そしてピートはエルモの森で、そのアルコール性の大気を大量に摂取したあげくに泥酔状態
となって大の字にひっくり返った。その結果、ピートの意識体たけがひと時マスターの中から
抜け出したのだった。ピートの意識体はどうやらマスターが完全な機能不能状態に陥った時に
だけ、その束縛から逃れることができるらしい。けれど意識体はいくら実体化してさまよい出
たところで、やはり肉体からあまり遠くへは離れられないらしい。本体から離れてしまうと、
実体化する力が弱まり、意識体そのものが消滅してしまう。
ピートの意識体はだから、マスターという本体から独立して長旅に出掛けられはしない。
両者はいまやひとつなのだ。
両者は互いに存在を共有することで、宇宙の魔法とつながっているのだ。
いま、ピートはマスターだった。
マスターはまたピートだった。
・・そんなマスターの体とピートの意識を持つロボットからの救難信号を追って、一頭の馬
に似た生物にまたがった人影が、紫色の草原をこちらへと向けて走ってくるのが見えた。
ピートは前へまったく進めないことに焦れて、がむしゃらに走ろうとしていた。その時、遠
くに求めていた人影をみつけて目を輝かせた。
「おーい!」
ピートは声をあげ、大きく手を振った。
こちらからも駆け寄りたいと思ったが、やはり体は前へ進まず、逆に後ろへ引っ張られる。
あまりにも強く後ろに引っ張られて、ピートは仰向けにひっくり返ってしまう。起き上がろ
うとしてもがいたが、ピートはそのまま強い力で森の中へと強引に引き戻されて行った。
「待って! あの人と話があるんだ! おい、ぼくはあの人に逢いたいんだよ!」
怒鳴ったけれど、ピートを引っ張る力は少しも弱まらない。目の眩むようなスピードで、ピ
ートはひっくり返ったまま、森の木々の間を引き戻されて行った。
草原に現れた人影を必死にみつめていたピートだが、彼の視界は彩葉した木々の葉とミルク
色の霧とに遮られ、せっかく出逢えると思った人影はもうどこにも見えなくなっていた。
(つづく)
Back Number
presented by son@ch-teo.com
Copyright(C)1997 FUJITSU LIMITED.
All Right Reserved.